2025 年 11 月 10 日電車好きなら知っておきたい、関西の熾烈な鉄道バトル
明治時代の日本は、「鉄道国有国営主義」であり、すべて政府が運営してきました。私鉄の建設には、厳しい条件が付いていたのです。
その私鉄建設の規制を避け、「路面電車」として発達したのが、関西の私鉄です。 私鉄がゆえに「五大私鉄」を中心として、熾烈な戦いが繰り広げられることになります。
関西の「五大私鉄」が以下の5社です。
“阪急電鉄 (阪急)
阪神電気鉄道 (阪神) 京阪電気鉄道 (京阪) 南海電気鉄道 (南海) 近畿日本鉄道 (近鉄)”
有名なものとしては、阪急と阪神の間の高校野球に関するエピソードがあります。
1915年(大正4年)に、現在の高校野球につながる「第1回全国中等学校優勝野球大会」が開催されました。場所は、箕面有馬電気軌道(現・阪急電車)が建設した豊中運動場です。
本大会は、大成功に終わります。しかし、大成功がゆえに電車もグラウンドも想定外の観客により、大混乱しました。そこで主催の大阪朝日新聞が、箕有軌道に観客輸送の増強と豊中運動場の改装を求めます。しかし、箕有軌道は、予算が取れません。
そこで鳴尾競馬場に高校野球を呼び込んだのが阪神電鉄でした。
その後、1924年(大正13年)に甲子園大運動場を(現・阪神甲子園球場)を建設し、今に至っています。 毎年、夏に大きな話題を集める高校野球は、阪急が始まりだったのです。
日常生活に欠かせない電車には、さまざまなエピソードが隠されています。電車好きの人はもちろん、日常的に関西の電車を利用している人も楽しめる一冊です。(中山寒稀)
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関西人はなぜ〇〇電車というのか―関西鉄道百年史