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2020 年 07 月 04 日

生臭坊主とフリーターの「歎異抄」

著者:

伊達 一啓

出版社:

辰巳出版
教養

楽しくわかる、親鸞聖人が残した生き抜く力

『歎異抄』とは、鎌倉時代後期に書かれた仏教書。作者は、親鸞に師事した唯円と言われています。世界で一番読まれている仏教書といわれ、名著としても知られている『歎異抄』。興味はあっても、解釈が難しいこともあり、手に取ることを躊躇している人も多いかもしれません。

本書では、『歎異抄』の解説は最低限に抑えて、実践的な世間を渡っていくために必要な内容に重点を置いています。登場人物は、生臭坊主と親の勧めで『歎異抄』を読んでいるフリーターの青年。親鸞聖人の教えを丁寧に説いていきます。

例えば、有名な「悪人正機説」。

これは、「善人が往生できるのだから、悪人の救済は決まりきっている」という意味です。しかし、フリーターは、「悪人が優先されて救われる」ことに納得ができません。そこで、生臭坊主は、フリーターが山登りの達人で、10人の素人を引率して山登りをしたらと仮定して、フリーターに問いました。事前に重装備をし、毎日運動をして体力をつけておくことなどをガイダンスしています。

“坊主「ところが、10人中3人はキミのゆうたことを守らず軽装備で登山したんや。案の定、途中嵐が来て軽装の3人は倒れてもうた。他の7人も倒れそうになったが重装備と体力があったおかげで、なんとか乗り越えることができた。さぁ、ここや。こんな場合、キミならどっちを優先的に助ける」

フリ「そりゃ、倒れこんだ3人です」

坊主「なぜや? 3人はキミの警告を無視して軽装備で山登りをしたヤツらや。こうなって当然だって言われても仕方ないヤツらや。いわば努力を怠った悪人や。それでもキミは3人を優先的に助ける、ちゅうんかい。後の7人だって今のところなんとか保っているものの、決して大丈夫ってわけやないで」

フリ「でも、この場合は違反者だろうと何だろうと、やっぱり3人を優先させますよ。何しろこのまま放っておいたら死ぬかもしれませんからね、3人は」“

生臭坊主は、「それと同じことだ。阿弥陀様も哀れな悪人から救いの手を差し伸べる」と答えます。そもそも、親鸞聖人のいう「悪人」は、煩悩具足、煩悩100%でこの世をさまよっている自分たちのような弱くて愚かな人間のことを指しているのです。悪人(=愚か者)は、善人のような能力がないため、他力に頼るしかない。それゆえに阿弥陀様が優先で手を差し伸べてくれるのです。

一方で、善人(=立派な人間)は、能力があるため何事も自力で行うため、他力を無視します。その結果として、驕りが出てきて傲慢になってしまう。つまり、自分の悪に気づいていないのが「善人」であり、その善人も阿弥陀様は救ってくださるという意味なのです。

人の心理を見据えた生臭坊主の説明は、解釈が難しい親鸞聖人の言葉がすんなりとはいってくるため、仏教書とは思えない読みやすさと、学びがあります。まさに「悪人」である私にとっては、肩の力が抜けるような本でした。(中山寒稀)

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生臭坊主とフリーターの「歎異抄」