その時、米軍では何が起こっていたか?
本書は、戦略爆撃調査団が敗戦直後の4か月間、日本で行った調査資料を基に空襲被災者の証言を交えて、米軍による日本本土への空爆の真相に迫っています。どのような目的で、どんな爆弾や焼夷弾を使い、どれほどの被害があったか。米軍の立場から、また空爆を受けた民間人の立場から、大阪、神戸、名古屋、富山、和歌山などの大空爆を、詳細に生々しくつづっています。
“米軍の日本本土への空爆は「無差別爆撃」だったといわれる。「無差別」だから、工場地域と住宅地域、軍事施設と非軍事施設を区別せずに手当たり次第に爆撃したとの意味合いを持つ。
しかし実際には多くの空爆で、米軍は一般市民の住宅地域のみを標的にしていたことがわかってきた。B29は緻密な計画の下でじつに効率的な爆撃をしていたことが、米軍の<作戦任務報告書>(Tactical Mission Report)や<野戦命令書>(Field Order)からわかる。 それは決して「盲爆」でも「無差別爆撃」でもなかった。”
日本本土空爆に先立ち、米軍は20都市を徹底的に解剖し、機能別にゾーン分けをしていました。大阪市であれば、「ゾーンR (住宅地)は、混みあった住宅と多数の小工場や作業所が入り混じり、大阪市の中心部の北東と南西に集まっている」「建物の9割は木と壁土で建てられている。1923年の東京で起こったような地震(関東大震災)や大火災に遭っておらず、大規模な建て替えはされていない」など、「住宅地域をいかに効率よく焼き尽くすことができるか」を調べ上げていたのです。
大阪市港区で空爆に遭った女性は、家族6人で焼け残った磯路国民学校に避難しました。すすまみれの被災者であふれた講堂の床にむしろを敷き、家族で1週間を過ごすことになりました。学校近くでは、警防団が三日三晩、遺体を焼いていたそうです。彼女の住んでいたあたりは石炭ガラで埋め立てられていたため、空爆から1週間がたってもくすぶり続けていたといいます。
米軍から見た空爆の裏側、そして空爆を受けた一般市民の様子が、淡々と、そして鮮明に描かれ、人を人とも思わない戦争の残忍さが生々しく伝わってきます。戦争を知らない世代が増えている今、ぜひ、読んでいただきたい一冊です。(中山寒稀)
本書は、2017年4月から2019年3月に、毎日新聞(大阪本社版)で連載した「発掘 戦禍の証し」を全面的に加筆修正しています。
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