2018 年 10 月 07 日【その18】自叙伝は、なぜ出版が難しいのか? (後編)
●企画立案
自叙伝の出版が難しい理由として、前編では「人は基本的に、他人の過去に興味がない」という現実を挙げました。
ここで、もうひとつ難しい理由を挙げるとするなら、自叙伝が本質的に「自分語り」である点です。
自分を主役に立てて、自身の過去の行動を、自身で説明し、面白く話すことは至難の業。
この難しさには構造的な問題が潜んでいるだけに、いわば自分語りの宿命といえます。
と申しますのも、自分語りには、語り手が満足感や有能感、自己肯定感などを獲得する目的で、聴き手を一方的に利用、ないし犠牲にしかねないという、大変迷惑な構造があるからです。
聴き手に対して迷惑をかけるリスクが自分語りの宿命なのですから、そのリスクを埋め合わせても余りあるほど聴き手を楽しませることに、どれほどの緻密な計算や技術、そして思いやりが必要なことか。
その本人の失敗談や自虐ネタなら、かろうじてギリギリ聞いていられるかもしれません。
ただ、かっこつけた自慢話や逆転劇などは、よほど好感を持っている相手でない限り、まともに話を聞いていられませんよね。
皆さんも酒の席などで、先輩の武勇伝や恋バナなどを聞かざるをえない場面があるでしょう。
よきタイミングで「すごいですね~」「素敵ですね~」「よかったですね」と、笑顔で相づちを打ちながらも、内心「ハイハイ、わかったよ」と呆れて、右耳から左耳へスルー、ほとんど聞いていなかったりします。
面白く自分語りをしようと、力めば力むほど、その内容において客観性を欠きやすくなり、聞いている側はつまらなくなっていく構造的な欠陥があるのです。
ネタとして、極めてスベりやすくなります。
なにしろ、話芸のプロフェッショナルですら、自分語りを避けたがるのですから。
『人志松本のすべらない話』という番組をご存知でしょうか。
一線級のお笑い芸人が、とっておきのエピソードトークを繰り広げるのですが、あの場ではほぼ100%「自分語り」は披露されません。
語られるのは大半の場合、自分が見聞きした「他人の面白いエピソード」です。
「自分の面白エピソード」を自分で語ることほど寒々しい行為はないと、彼らは直感的に、あるいは経験的に気づいているのです。
それがわかっていても、どうしても自叙伝を出版したい!
そう切望する方は、せめて他人にインタビュー取材してもらって、内容の客観性を保つか、あるいは自分の成功体験を読者も参考にできるよう、再現性のあるノウハウに加工し直すなど、プラスアルファの創意工夫が必要となるでしょう。
〔長嶺超輝〕