永井龍男と聞いて思い出したのは、国語の教科書に載っていた『胡桃割り』。教科書に載っている作品にも関わらず、洒落た大人の雰囲気を持った作品というイメージがあり、とても記憶に残っています。
そんな文学作品の印象があるせいか、永井龍男は「昭和の作家」だと思ってきました。ところが、実際には作家としてだけではなく、編集者としての功績も大きいとのこと。文藝春秋社に入社し、「カミソリ」というあだ名を持つ名編集者となり、さらに伝統ある小説誌『オール讀物』の初代編集者でもあります。
そして、永井龍男の功績の中で忘れてはいけないのが、今もなお、出版業界で大きな影響力を持つ、「芥川賞」「直木賞」の育ての親であること。
大衆文芸の新進作家のために「直木賞金」、純文学の新進作家のために「芥川賞金」を制定したいという菊池寛の構想の下に始まったプロジェクト。昭和10年『文藝春秋』新年号で「芥川・直木賞宣言」が発表、昭和13年に芥川賞・直木賞の詮衡と授与を行うための財団法人『日本文学振興会』が設立されました。創設時の理事長は菊池寛、理事が久米正雄、佐藤春夫、瀧井孝作、川端康成、斎藤龍太郎。そして、常任理事は永井龍男に。
後に、「回想の芥川賞」(『別冊文藝春秋』)の中で、宇野浩二は永井龍男に謝辞を述べています。
“「私は、第六回から第十六回までの、芥川賞の詮衡委員と、芥川賞詮衡の主査と、両方、まがりなりに、したが、その間、常任幹事の永井龍男の熱心さに、しじゅう、はげまされた。誠に、芥川賞の第一回から第二十回までの詮衡が、まがりなりにも一回も休まないで、つづいたのは、誰でもない、唯一人、永井龍男のお蔭である」”大正時代から昭和にかけての時代とはいえ、貧しい家庭に育ち、学歴にも恵まれなかったにもかかわらず、編集者として、作家として影となり日向となり、昭和の文壇を支えてきた永井龍男の人生そのものが物語ともいえます。
また、小林多喜二や中原中也などの教科書に登場する有名な文士や、現在も活躍中の作家の芥川賞受賞など、文壇の裏側がたびたび登場します。そんな隠れた人間模様を頭の片隅に置いて、それぞれの作品が読み返してみると、今までとはまた違った感想を持ちそうです。(中山寒稀)
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