出版業界における
企画のたまご屋さん
の役割

吉田 浩よしだ ひろし

企画のたまご屋さん 名誉会長

なぜ、私が『NPO法人企画のたまご屋さん』(以下、たまご屋さん)を創ったのか、たまご屋さんの歴史をきちんと残し、出版業界関係者のみならず、多くの人々にお伝えしたいと思います。

たまご屋さんが誕生する1年前、多くの出版社が倒産しました。
さらに、ある大手出版社が実売印税に切り替えるという噂が流れました。
実売印税に切り替わると、ほとんどのエディター、ライターは食べて
いけなくなります。私は、これに危機感を感じ、何とかフリーランスの
力を結集し、生き残る方策はないかと考えました。
(当時、私は編集プロダクションを経営していました)

フリーランスや作家に声をかけたところ、約50名の方が集ってくれて、
それぞれが生き残りのアイデアを持ち寄ってくれました。

このとき、ひらめいたのが<出版企画のネットオークション>です。

昔は、企画書をひとつの出版社に送ったら他の出版社に同時に送る
ことはタブーだったため、ライターを含め本を書きたい人は企画が
通るまで、1年も2年も待たなければならなかったのです。

私は、その時、約350人の出版社の編集者とお付き合いしていました。
それらの方々に一斉に企画書を送ったら、たくさんの出版社が企画を
採用してくれるのではないかと思いました。
そうすれば、多くの企画が一瞬で決まる!

こうして約1年間の準備期間を経て、2004年1月5日にたまご屋さん
はスタートしました。

当時は、ちょうど、鳥インフルエンザが大流行していた時期で、
口の悪い編集者からは「ウィルスメールを送りつけるなよ」と
からかわれました。

また、仲のよいベテラン編集者からは、
「企画は編集者が作るんだ。作家は編集者が発掘するんだ。
一斉に何百人も企画を売り込むとは何事だ」
と、大変なお叱りを受けました。

しかし、私が大好きなこのような気骨のある編集者は、
その後、出版業界からどんどんリストラされていきました。

1月6日に配信した精神科医の斎藤茂太先生からいただいた企画
『モタ先生が教える、人生もっとモタモタしなさい』(原題)は、
ほんの4時間で20名の編集者から採用通知をいただきました。

1月7日に配信したルポライターの早坂隆さんの企画、
『世界の紛争地ジョーク集』はベストセラーになり、その後、
早坂さんの執筆した『世界の日本人ジョーク集』は100万部を突破し、
今も売れ続けています。

たまご屋さんを立ち上げた最初の4年間は、毎年、数百万円という
大赤字の連続でした。
また、毎日、企画書を配信していると、出版社に売り込む企画書が
なくなるときがあり、夜中の0時を過ぎてから、当時の副理事の
中本千晶さんと一緒に、知り合いの作家やライターに
「企画書はありませんか?」と電話をかけることもたびたびありました。
まさに、不眠不休の毎日でした。
あの時、私を支えてくれた中本さんには今でも感謝の気持ちで一杯です。

おかげさまで、たまご屋さんのスタート時の採用確率は非常に高く、
2004年29%、2005年30%、2006年28%、2007年27%と好成績でした。
たまご屋さんの管理・運営は、2004年から2012年まで、
私の経営している会社、天才工場にて行いました。
私は、004年から2012年まで代表理事を務め、その後、
中本さんに代表をゆずり会長職となりました。

たまご屋さんの創立趣旨は、2つです。
「日本中から才能ある作家と、売れる企画を発掘すること」
「出版の敷居を低くし、誰でも本を出せるようにすること」
この創業の理念は、今でも変わっていません。

その後、たまご屋さんは長く続き、何百人もの作家を発掘し、
何百冊もの本を世の中に送り出しています。

本を書きたい作家がたくさん生まれ、本を愛する人たちが
たくさん生まれたら、それに勝る喜びはありません。

これからもたまご屋さんを応援してください。